ACIM Textbook Course 2 Class 4 — July 12, 2025
ACIM Textbook Course 2 with Yasuko 2025
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1h 37m
ACIM テキスト精読コース(第二期)―――7月12日クラス・感想・質問シェア
(ありがとうございました! 追加の質問・感想はコメント欄にお願いします)
1. 創意工夫してうまくいったとき、ほかの人より賢い、優れている気になっていたなとあらためて思いました。分離や特別感を強めていました。エゴは巧みですね。
2. 今日もたくさんの気づきをありがとうございました🙏
その中でも、自分が気づきだと思っていてもすぐ忘れてしまうものは勘違い?幻想。本当の気づき(奇跡)は忘れたりしない。というところで、ハッとしました。
今回のクラスでの気づきも幻想ではなく、本当の奇跡にしたいと思います✨
また、自分の感情を丁寧に見ていき、そして無意識のゴミ捨て場の掃除を心がけていきます✨
来月も楽しみにしています💚✨
3. 神の子の皆様、今日もご一緒してくださってありがとうございます。
今日のクラスの箇所がコースの螺旋階段の始まり。そうだなーと。
あまりにも直球ストレートの球が飛び交ってる、読むとその球、ストライクしか飛んでなくて、手を出す勇気もなく、見逃してばかり。
何か自分のモヤモヤがあって、テキスト開いてバッターボックスに入るも、怖くて球が見れないことだってある。
目で文字を追ってというか、その目で追いながらも、判断をしながら文字を追うという無意味な二刀流をしている事もありました。
スタートを、自分の知覚、判断を見つめてから、文字を追う(私は感じたことの受け取り直しの下ごしらえと呼んでます)とこれまた見えてくる景色が違ってくる経験は、一度や二度ではないのです。
コースの本を私の今の心の景色、助けになる言葉が書いてあるのはどこですか?なんてパラパラめくっても、どこをどうやって読んでも、その時に必要な本当のこと、真実が記されているところは、コースの本が金太郎飴と言われるのも納得です。
(スミマセン、コンナツカイカタ)
今回のところで、私の目が釘付けになった言葉は偽造でした。労力の浪費とズバッと書いてありました。知っているという状態は、行うことにはつながらない。
この知っているという状態に私はしょっちゅう酔っています。
夫はビールが大好きでたくさん飲みます。(彼は酔っ払いと決めつけてました。私よりもたくさんお酒をいただくというだけで)
私はあんまり飲まないと思っていましたが、それはどうやら私は酔っていることに気がついていないだけ。
他人事としてみていた酔っ払いは、どうやら自分ごとだからこんなに気になるわけで、気がついていないところでしっかり私、アル中でした。
彼のことを、そんなに飲むってどうなってるの? なんてぶつぶつ言ってるのは、僕の酔っ払いが気になる?あなたも同じくらい酔ってるよ、というメッセージだったようです。
アア、ワタシクヤシイケレドコウサンシマス、
ワタシマケマシタワ
(どっちから読んでも同じなので負け、確定)←戦わなくて良いのに血の気の多いわたし
この知ってるという状態には判断がつきもの。
正解だった試しがない。サイテストツネニカクテイ、100%ッテドウヨ、、、、
実は今朝、タッチの差で、宅配便を受け取り損ね、再配達を依頼する手続きをしながら、、、、
こんな感じでサクッとHSに依頼したらイイね、と。
判断包装紙で包まれた荷物を、もう一回受け取り直してホーリーギフト。
宛名は私と神の教師の連名(伝票の書き換えもHSにお願いしてみることに)
ホーリー宅急便に再配達を依頼し、もう一回見てみる。
シズカニシズカニ、オダマリワタシ、、、
ご自分劇場、お客さんが入らないというストーリーから、HSとの貸切劇場に。
涙も出ることあるけれど、それはそんなふうに見てたのね、大丈夫よ、力抜きましょ。
涙で解けたね、被害者の椅子。
日常で量産される判断付きの出来事、
HSと見て、ホーリー百貨店へ通う受け取り直しの心の筋力。
クラスは心の筋肉メンテナンスタイム、日常は貯筋タイムを支える心の筋トレ
ご一読いただきどうもありがとうございます。感謝を込めて
羊の母:A.S
4. 今回も濃密な会に参加させていただきまして、ありがとうございました!
知覚、判断、し続けている、確かにそうだと頷かずにはいられませんでした。この知覚の世界を超える、出ないと、平和はない、愛を見ることは出来ないのだと、改めて、心に刺さりました。
でも、「だって見たもん!!」叫んでいる自分がいることも、香咲さんの言葉で、改めて感じました。自分で見たものを、感じたことを、幻想で、存在しないものだとは、自分では思えない。確かに!なので、ホーリースピリットに頼む。もう、頼み続けていこうと思います。日記ではなく、お供えノートを綴りながら。本当に自分が感じたいものは何なのか、何度も何度も確認したいです。
最近、嫌な思いをすると、「私はこの嫌な思いを感じ続けたいのか?いやいや、愛を見たい」と割とすぐに思い出せることが増えてると感じます。その先の「だって、なぜなら」に行かずに済む。すると、確かに、嫌な思い、問題は無くなっちゃうのですよね。すると、いやいや待って、と追いかけるのもまた感じます。
自分を責める材料がゴロゴロ転がっている、怖い、この世の中を、違ったふうに感じられる、かもしれない(まだ、断言できないですが)というのは本当に、光です。
皆が全部を持っている、豊かな、くつろいでいられる、世界を見たいです。愛を見たいです。「見て」と現れてくれるフレンズを知覚を超えて見る時にそれに触れることができて、それが本当の自分自身だと、聞いた時には涙が溢れました。なんていう仕組みなんですか。そうなんだよ、と教えてもらったと感じました。たくさんたくさん、自分が本当に感じたい、本当の自分自身を感じられるように。ホーリースピリットに頼みまくって過ごそうと思います。
これを感じてる今、もう、心があったかいです。ありがとうございます😊💖
小笠原 佳子
5. 今回もありがとうございました。ホーリースピリットに無意識の比較や判断をあけわたしたいと思います。今日、なんとなく水を感じたいと思い、心の中のホーリースピリットに会いにいくと、10年ぐらい前、御蔵島のイルカに会いに海の中を潜ったときの水の感じを思い出しました。ネットで御蔵島のイルカの動画を見て、「ああ、この水の感じ〜と思いつつ、あのとき一緒に御蔵島に連れて行ってくれたあの方は今どうしているだろう・・」と、ずっと疎遠になっている友人を思い出したのでした。その友人を皮切りに、続々とこれまで見ないようにしてきた友人たちを思い出しました。(無意識のゴミ捨て場)・・・見ないようにしていたことが少しずつ見えてきました。ゆるしをしたと思って忘れていましたが、いろいろ感じたくなくて、再び見ることをしないでいたんだなと思いました。見ていなかったその兄弟たちの姿をインターネット上で見ました。わたしが思っていたイメージとは違うとても新鮮な彼らが見えました。そして中でもいちばん見ることを避けていたなと思う方を見たとき、なんのわだかまりもなく心に嬉しさがありました。恐れの反応はありませんでした。それが何より嬉しかったのです。あなたはわたしだったと感じられました。当時の自分が傷ついたと思った出来事、関係者との間でとても辛い出来事を経験したと思ってきたことは、自分の心の中で起きていただけで、この方には全く関係がないと受け取れました。でも、自分が傷ついたと思っていたのに、恨みを思ったのに、そう思わないようにしようと努めていたんだと思いました。それはぜんぶ、自分が悪かったのだとおさめていたのだと気づきました。ホーリースピリットにこの心をゆるしに捧げます。