ACIM 第四期オンラインコース―――4月15日クラス・感想・質問シェア
(ありがとうございました! 追加の質問・感想はコメント欄にお願いします)
1. いつも心強い愛をありがとうございます。
数年前のお話をシェアさせてください。
私は友人の紹介で、日本で教鞭を執られている外国の方と会食していました。
友人から話を聞いていた通り、とてもフレンドリーで品格のある方でした。
素敵なユーモアで、私もオープンハートになり、お話も弾みました。
家族の話にもなりました。私にも色々アドバイスをいただいたり、親切な優しさを感じました。
ところが、私が個人的な話を聞いていた時に、何か失礼な返答をしてしまったようでした。
私は初めて観た彼の硬い表情にびっくりしてしまいました。
会話は英語で、お酒も軽くいただいていたので、慎重に感じ取る姿勢が緩んでいたかもしれません。
「氣を悪くされたらごめんなさい。私の英語力だと、上手く貴方にお話できないかもしれない」私は謝りました。
彼は決して私を怒っているわけではなく、冷静でした。私は触れられたくない繊細な想いを私が傷つけてしまったのではと、罪悪感が湧きました。
すると「立場をわきまえるように…」
と、静かにそのようなお返事が返ってきました。
今度は、私の方が胸騒ぎがしました。
日頃から平等を意識していたのです。
そうは思いつつも、きっと何かの意味があるのだろう、全ては良くなる為にあるのだと信じ、心を静めました。
一瞬の緊張も取れて、また楽しい会話に戻りました。
そして、日本の山々の話になりました。
幾つかの日本にとって大切な山の話を教えてくださいました。
私は驚きました。
(海外の方がこんなにも日本をご存知で、それを何百人の日本人を前にご講演されて教えていらっしゃるなんて…)
しばらくしてから
「さっきの3つの山を覚えている?」と彼が聞きました。
「あ…一つは〇〇山で…あら、あとはお話に感動して忘れちゃった」
私は答えました。彼は再び、丁寧に教えてくれました。
楽しい時間はあっという間に過ぎて行きました。
お食事もご馳走になり、帰り道は途中まで送ってくださいました。
色々な会話をしながら歩きました。
そして、彼はもう一度、「あの山の名前を覚えている?」と、私に尋ねました。
私は夜風が心地よくて、あまり思い出す事に興味が持てずに、「ごめんなさい、全部は覚えていないみたい」と曖昧に伝えました。
すると彼は、
「どうして貴方はそうなの、私が30分前に貴方に教えたのに、、、」と言いました。
私には、それが攻められている口調に聞こえてしまいました。
確かに何百人もの生徒さんを前に教える方が、一対一で、何度も個人的に大切な事を伝えているのに、、、その氣持ちもわかったのですが、
「これは、私のキャラクターなの。今日は大きく感じて受け止めて、また必要だったら、改めて自分で調べるの。
それに、必要な事は目の前に来てくれたりもするの、せっかくご丁寧に教えてくださったのに氣を悪くされたらごめんなさい」私ははっきり答えました。
私はお礼をお伝えして、彼と別れました。
部屋に戻ると、なんだか、悶々としていました。
自分が否定されている氣がしました。
どうして、こういう状況になったんだろうと考えても全く答えが見つからずに、私は降参して明日の朝の感覚を待つ事にしました。
シャワーを浴びて、そのままベッドで眠りにつきました。
翌朝…
私は自分に問いかけました。
すると、円錐形の山と2つの事が見えました。
一つは、「彼と私は同じ方向を向いている」という事。
彼は長年、国際的な平和活動をされて意識が愛に向いていらっしゃる。私も生命を愛だけに使いたいと誓っている。
もう一つは、「正義感に氣をつけなさい」と言うものでした。
だんだん落ち着いてきました。
そう言えば私は、自分が否定されたような恐れから、自分を守ろうとしていたし、自分だけが正しいのだと、彼の心を受け入れていませんでした。分離して壁を作って暗いエゴの中にいました。
もっと内観を深めると、厳しい上下関係や競い合う事で、いつも緊張して怯えていた過去の自分も見えてきました。その時の感情を優しく受け止めて、自分を癒しました。
円錐形の山は、氣付きの道、悟りの道、神への道、誰もが元の自分に還る道。
皆が、それぞれの場所から、それぞれのペースで体験を昇華して登り、一つの愛になっていく美しい山でした。
「ごめんなさい」。私は心の中で呟きました。
すると、自分がほんの少し広がって、自由になったのがわかりました。
今では、彼が私を広げるために天の愛によって目の前に来てくださった天使だと理解しています。
今も、とても仲良しです。
2. 30分あっという間でした、ありがとうございます。
初めて、ずっと目を閉じてイヤフォンでお話を聞いていました。
香咲さんの言葉の一つ一つがいつもより沁みてきました。
いまここの意識で聞くことができた気がします。
自分の心の声を聞く、って色々なところで聞き慣れた言葉ですし、
聞くたびに、「ですよね、分かってます」と自分の心で繰り返し返答してきた言葉でもあります。
ですが、上っ面で流すだけで、全然自分の心に届いていなかったと思いました。
つい最近起こったことなのですが、
理由はわからないけれど朝から心がモヤモヤ、でも何故なのか、どうすればいいのかわからないまま、気持ちにフタをするようにその日の予定をこなしていました。
とにかく決めた予定を賢明にこなすことが第一優先だったのです。
そしたら、1日の最後に、今日がまるごと台無しになる以上の、想定外のショックな出来事が起こってしまいました。
そうか、モヤモヤはこれだったのか、、、と思ったけれど後の祭りでした。
心の声はずっと私にメッセージを送っていたのに、私はそれを信頼せず無視した結果、起こった事だと思いました。
ですので、今日のお話はドンピシャ、とてもタイムリーでした。
自分の心を信頼し、安らかさに戻ること、本当にこの位置に戻れますように、と心から聖霊にお祈りします。
3. やっぱり、これでいいんだと涙が出そうになりました。愛だけを観ていきます。今日もありがとうございました。
4. 私は自分の心の声を本当に聴きたいと思いました。この瞬間から心を注いでいきます。いつも素晴らしいレクチャーをありがとうございます。
5. ずっと心で思っていたこと。香咲さんも知覚に反応されるもだろうか。
今日、この答えが聞けたときにアッと驚き、ホッとしました。
聞けてよかった。ありがとうございました。
また醜い感情のお話のシェアはとてもわかりやすくて。
もっともっと自分を認めるコトをしてみようと思いました。
6. 常にこんな自分ではダメだと鞭うっていました。
ありのままの自分に信頼がもどることができる、してよいと、自分を受け入れられる入口になりました。魂の歓びをかんじます。ありがとうございました。
7. 自分を信頼できなければ、きっと他人を信頼することもできないのでしょう。
自分の真の心のうちを信頼していきたいです・・・そうすれば、全ての憎しみや怒りは消え去るのでしょう・・・HS とともにいたいです。Yoh
8. わたしは本当の自分を信頼できていないから、「本当の自分を信頼して表現している人」に惹かれて、そこでの学びを続けてきたのだと感じたクラスでした。外側で見ているその人には仲間・親しい友人がいて、そしてその仲間を褒めている・・・わたしにはいない、光もあたらない、孤独だ、だから認められるようにと必死に(必ず死ぬ自我の道を)ついていっているように感じていました。そんなことをしなくても、光はあたっている、注がれているのは頭では分かっていても、どうしても、その自我の思いは「本当の自分を信頼をしている方の表現」を見聞きするたびに「愛をみる」という決意が揺らいでしまうのでした。根深い分離感があることを より自覚できた瞬間でした。正直なきもちを表現してくださった方と、そこにある光を見逃さない神の子のクラスをありがとうございます。
9. 2ヶ月ぶりのヒーリングクラス。とてもとても楽しみにしていました。ここ数日感じていたのは、いかに自分が喜びと平安を求めているのではなく、とんでもない罪を犯してしまった、そんな私は罰がふさわしい、神から罰せられるに決まっていると深く深く信じていること。罪と罰を望んでいること。そのことを痛切に感じているからこそ、今日のヒーリングクラスがとても響きました💗
私の中から、どんな思いが出てきても、それがどんなに醜くても、目を背けたくなるような思いでも、ホーリースピリットと一緒だから直視できる。そして信頼して出すことの大切さを、今日改めてフレンズから教えてもらいました💖
香咲さんが読んでくださった、教師のためのマニュアル 二十七、わたしの唯一の課題。
今日、この箇所を皆さんと共に受け取ることができたことを嬉しく思います。
死が関与している妥協を、一つでも受け入れません。神の子は、私たちは、今もこれからも永遠に無罪だ、このことを真に受け入れたい、どうぞ教えてください、導いてください、ホーリースピリットに祈り、そして今この瞬間、唯一の課題に取り組むと決意します。
香咲さん、事務局の皆さん、フレンズの皆さん、今日もありがとうございました。黒河 未紀
10. 今日もありがとうございました。コースに真剣に学んで日が浅いので、まだ自分には理解が足りていない、しっかり理解しなければ・・と真理を理解することで自分の不完全さを補おうとしている自分に気が付きました。みなさんの素晴らしいシェアを読むたびに、私の文章がとても拙く、心のうちを上手に表現できていないことを恥ずかしく感じていたり、コースの理解が追いつかない自分をはやくみなさんに追いつかないと・・と思ったりしている自分に気が付き、さらにその自分をもジャッジしている・・。
エゴを笑い飛ばす感覚で見る、もっとHSに自分の心のうちを預けていこうと感じました。
11. 今日もありがとうございました^_^
癒されました。フレンズの方のシェア、本当に共感でした。
先日、自分も気付きがあり、感情のおもむくままに、ものすごい長文を書き込んだのですが、書き込む場所を間違えたことに気づいたのと、なんだか恥ずかしくなってしまったのとで、削除してしまいました。日頃、HSからの声を求めていますが、頭の中の声は自分の声なので、なるほど!と思っても、いや、エゴが自問自答してるだけ?信頼していいのか?HSの声ってもっと神っぽいんじゃないの??となってしまうことが多いので、ああ、皆さんも一緒なんだな、もっと信じてみよう、と思いました。
確かに、本当はどこかで分かってきていて、頭の中で響く声は自分の声でも、何か焦らせるような追い詰めるような声の時はエゴから来ているし、ほわっと緩む、大丈夫だ、と思えるような声の時は、HSからなんだなと感じています。でも、え?いいんだっけ?とチャチャを入れて不安にさせる声も大きくて。恐れか愛か。愛の時、ほわっとする暖かい声を信じて流さないように、しっかり受け止めていこうと思います^_^
12. 今日のヒーリングの話はまさしく自分が聞きたかった話でした。ありがとうございます。フレンズの皆さんのシェアもありがとうございます。わたしはフレンズのみなさんのシェアに対して毎回全員に手紙を書いています。とてもこのオンラインコースの掲示板に書けるものではありません。めちゃくちゃ醜いと感じるからです。だから出てきたものを「あれ?汚いものでてきちゃった。」と恥ずかしくて、みっともなくて、おぞましくて、隠したくて、止めてしまうのです。今日のお話で、止めなくてよかったんだという安心感が半端なかったです!。もっともっと自分の中から湧き上がるものをすっ飛ばさずに見てあげること、愛でて信頼することを続けたいと思います。
13. 今日もありがとうございました。今日は心が大きく揺れました。「正直になりたい」いつもそう思っているのに「あなたは正直じゃない」と言われているように感じ責められているように感じて苦しくなりました。正直になることは思った以上に難しく感じました。心を見ることを練習していきたいです。これが今の私の正直です。
14. 今日も素晴らしい講義をありがとうございました。
ちょうど私の心にぴったりの内容でした。義母が病院の送迎に愛を求めてあるのがわかったのですが私も用事が重なっていて、正直心の中では送迎は無理と言いたい状況でした。
私のエゴが愛を恐れているのもわかり、いろんな感情がでてきています。
こういう思いはひどいから、とりあえず我慢するクセを繰り返して生きてきましたが、
汚い思いは心にそのまま残っていたことに気づけました。
本当の自分を信頼して、自己中で冷酷なエゴの思いをしっかり見て
取り消していくことを確実にしていこうと思えました。本当にありがとうございました。
15. エゴの巧妙さ、私のエゴの賢さ、本当に感心します。。。だから、本当の自分の声が自分でわからなくなっている。正直な気持ちよりも、何が正しいのか?というのを常に自分に押しつけて、自分の心を他人軸で決めなければいけないと思っていたところがあると思います。そうしようと思ってきたわけではないのですが、自信がなかったということですね。
ここからますます、自分の心の正直さに心を開いていけるのが嬉しいです。自分の思いを歓迎できるなんて・・心が喜んでいます。ありがとうございます。門奈友紀
16. いつも、不安だった。学んだなかから掴み取りたい、そんなことを思って探し歩いてた。そんな気がしました。正直でありたい。エゴを笑いに変えれるようになりたい。自分の中から生まれる声を聞きたい。信頼したい。ありがとうございました。
17. 本日も神の子の皆様方、ご一緒していただきましてありがとうございます。最近のレッスンを通してのわたしの課題は、レッスンを裁きの道具にしないことでした。日々のあれこれをみていく時に、あーできていない、またやっちゃった、と見るのではなくて、一歩深く、そして立ち止まって、何を感じてた?から、何を感じてる?へ。全ての道は愛に続く。この信頼貯金を増やす心の筋トレに引き続き取り組みます。今日は、レッスン105と共に。今日もありがとうございます。A.S.
18. 本日もありがとうございました。今日のクラスは、今まさに私自身がいる場所を照らしていただいた気がします。皆様のシェアを拝見する度に、何だかなぁと、自分が出遅れているような気持ちになることがよくありました。また奇跡が起こっても過小評価していたり、後で気付いたり、現実が思うようにならないと私には真実は見えないんじゃないかと思ったりでした。
ある方の言葉で、こうしたモヤモヤはきっと自分に正直じゃないからだ!と思い至り、昨日、昨年末の録画を見ながら瞑想をしました。こうなってほしい、ああなってほしい、の奥には、自分はこれまで本当に頑張ってきたのに報われていないという悲しみや怒り、うまくいっている(ように見える)人への妬み、そんなこと思ってはいけないという罪悪感などが、涙と共に溢れ出てきました。それをそのまま否定せずに感じてH.S.と共に湖に沈んでいくと、更にその奥には、未来に対する大きな恐れが見えてきました。こんなに私は怖がっているんだとわかりました。
こうあらねば、という声にかき消されていた自分の思いを、それがどんなにみっともなくて恥ずかしくても、ちゃんと正直に見て感じることがスタートなのだと、改めて思いました。
何度も何度もこれをしながら、玉ねぎの皮をむいていくことになるんですよね。
瞑想の後、自分に正直になると心が軽く、オープンになって周りに開いているのに気付きました。モヤっとしたらお掃除の瞑想、これからも続けます。
19. もっともっと自分で気づかないでジャッジしてしまっていることに気づいていこう、そして、起こったことを自分で判断する前に、しっかりと自分の感情を感じ、それを認められるようになろうと思いました。投稿してくださった方、そしてフレンズの皆様、ありがとうございました。
20. 本当の気持ちを発言すること。とにかく苦手だし、恐れている自分がいます。
余りにも家族の事で苦しんでいて、いつも相談を受ける友達にも話を聞きながら “彼女も家族も神の子だ” と赦しながらも“何度言っても通じないこれだからこんな状況なんだよ いい加減自分で学べ!”と腹を立ててる自分がいて、これじゃお互いに癒やされるどころじゃない!と厳しく批判する自分を取り繕ってるのを隠してきました。
彼女を赦したいし、共に飛び立ちたい!という思いと裏腹なこの気持ちに罪悪感がありまくりです。感じないように隠してる思い、まだまだまだまだ沢山あります。玉ねぎの皮を1枚1枚剥ぐようにしっかり感じてその先をホーリースピリットに委ねたいと思います。
21. 以前は「死は無い」を絵空事のように聞いていました。身体は死ぬ、は常識でした。誰かが苦しんで死ぬことは怖いのに、死んだら楽になる、という思いもずっとどこかに救いとしてあったような気もします。身体が無ければ楽なのに、とも思っていました。前回のレクチャーで、エゴが身体のせいにして罪を着せていたのなら辻褄が合うと感じました。第4期から参加して、ようやく自分と重なっていたエゴが浮き彫りに見え始めました。
何かのせいにしたり、怒りのエネルギーを抱えること自体に自爆の苦しみを感じて、これがエゴの罪と罰の意識なら早く抜けたいと焦っていたのですが、香咲さんがとても楽しそうに分離のお話をしながら笑っているのを見ると、え?そこ笑うところなの?と、その余裕のフェイントが可笑しくて、皆んな同じものを持っているから大丈夫、そしてそれは全部幻想、という安心感に招かれます。もっとエゴについて詳しく知りたくて19章を読んだのですが、その度にナルコレプシーかというほど眠っていて、、真実に触れようとすると眠くなる、は本当だ、、と、抵抗していることも、あるがままに見ようと思いました。
神の愛と、人間の情、の違いを知ってから、情で痛みと繋がることを避けなければいけないと思うこともあったのですが、これも自分をジャッジすることの一つだったんだと気づきました。知らないままそうするのではなく、知った上でジャッジせず更に見続けて行く範囲は、肯定感が広いんだなぁと感じます。せめて自分に対してはジャッジ機能を停止して、完全に手出ししないで見よう、あるがままに安心させてあげよう、信頼しようと思いました。ずっとこの辺りを混乱させたまま、自分を抑圧するエゴの声を切り離したいと戦っていたようです。それが他人軸というものだったのか、と気づかされ、永遠にジャッジし続けるものに足止めされていたのだと分かりました。私に罪は無い、を受け容れられるよう祈ります。ありがとうございます。
22. 正直な自分の気持ちを包み隠さず受け入れる事は、とても大事なの事なのだと受け止めました。そこからが癒しの出発なのだと感じました。どんな思いも全て受け止めて、HSに助けて貰おうと思います。
23. 先月、自分か抱えている思いと向き合って紙に書き出していました。その時「この世界は恐れに満ちていると知覚しているならば、それを投影している私の心にも恐れがある。でもそれは勘違いで、初めから恐れなどないので、私はこれまで何も見ていなかったのだ」ということに気づいて心の中で大笑いしてしまいました。自分自身の思いにすら「怖い」と怯えて見ないようにしたのが不思議です。死にたいと言っていた娘は、希望の持てない幻想の社会を実はよく見ていました。本当の思いを隠して社会に馴染もうとする人がいる中で、彼女は自分に正直で、既成の本音と建前の世界に馴染めませんでした。争いばかりの世の中を悲しんだアマテラスオオミカミのように岩屋(部屋)に閉じこもり、美味しいものを食べにたまに外に出て笑顔でおしゃべりをして、また岩屋にお篭もり。安全な家庭で存分に甘えているのだと思い、好きなようにさせていますが見放している訳ではなく、『このことをホーリースピリットの目で見せてほしい』と意識することを心がけています。常に注意深くレッスンの機会をいただいていると感じありがたく、彼女は私の救世主、まさに神の子でした。彼女の(私たちの)愛のエネルギーを発揮できる世界が見たいし、ますます広げていくことに心を合わせていきたいと思います。
24. 再度、ヒーリングの録画を聞いてましたら、昨日のドックランでのことを思い出しました。「この前は大変でしたね。柴犬ちゃん手を噛みそうになって...」相手の方は少し反省していました。今になって、あの時、小躍りしていた自分に気づきました。エゴは気落ちするとかドラマチックに表れるだけじゃなく、日常会話にも潜んでいるんだなーと思いました。香咲先生のお話は、面白くて聞き入ってしまいますが、2,3回聞くと、聞くことにつらい所も出てくるようです。ホーリースピリットに頼みながら聞いています。貴重なコメントのお話、ありがとうございました。
25. 録画配信で動画を見ました。
旦那さんとの事をシェアして下さったフレンズの方、ありがとうございました。
このシェアを聞いた後、私の心の中はしばらく拍手喝采鳴り止みませんでした。
私の心の中にある事を代弁してくれたようで、スカッとしました。
そうは言っても、旦那さんに対しての気持ちはエゴだということ、本当ではないという事をご本人も私たちもわかっているから、それが尚更暖かく感じました。
本当にありがとう。大好きです。
26. いつもありがとうございます。 今回シェアして頂いたフレンズの方のコメントと、それについてのお話を聞いて、解決済みと思っていた自分の中で、まだジャッジが行われているんだと気づきました。 同じ状況にあったとしても、私はこの場であけすけに話すことはできず、むしろ隠してしまっただろうと。 自分への信頼よりも、そんな自分は認めたくないというエゴの声の方が勝っていたと思います。 気づきをありがとうございます。
27. 香咲さん、フレンズ&同僚の皆様、いつもありがとうございます。
今回紹介されたコメントを耳にした時、ああ旦那さんは私だ、と思いました。攻撃的な怒りを浴びて、最初は呆然とし自分を守るためにリアクションしたくなりましたが、これは今までの私に対して長い間蓄積させた怒りをこういう形だ放出させずにはいられなかったんだろう、私の身勝手で思いやりにかけた在り方に対してこのような報復が起こったんだろう、バチが当たった、当然だ、ザマアミロ、という感情を私が引き出したんだろうと思いました。最初は今までの通り他人軸の判断が勝りました。人の評価や反応に応じて自分の価値を決めるエゴが躍り出て、罪悪感や被害者意識を振りかざし、こういう態度をとる人を陰湿だ、かわいそうな人だ、と咄嗟にジャッジし自分の正当性を主張しました。私の兄弟が私に対してここまでの怒りを抱き続けてきて、今ねじれた形で放出している、でもそれをしている人も私だ、これを繰り広げている全てが私の一部なんだ、と感じました。そしてそれを全部くるめるとやっぱりその奥の奥にあるのは愛なのだ、と思えました。眠れなかった私、私に対する態度でおそらく嫌な気分になっているであろう愛する人に癒しが訪れますように。HS、助けてください。
8 Comments