ACIM 第七期オンラインコース―――3月22日クラス・感想・質問シェア
(ありがとうございました! 追加の質問・感想はコメント欄にお願いします)
1. 一人では出来ない、皆で学ぶ、改めて心に刻みました。皆さま今期も本当に心からありがとうございました。
yuko kudo
2. 第7期オンライン講座ありがとうございました。フレンズの皆様と共に祝福を受け取り続けていることが喜びであり、学びを継続している力になっています。感謝でいっぱいです。
3. ありがとうございます。
求めて求めてでなくふと自分から広がる深い感謝に自分も含めて一帯包まれる瞬間。(涙)
「跳び箱の踏み台となる」。いやいや自分は周りの活躍する人を見て、(自分は得手でないのわかっていて)どーんとしていたではないか。←そんな選択、決意、無理かもと迷う。(正直)。
医療の現場に立つ方が、本当に病気とはなんだろうと長年深く考え続けている尊さ。
大変なことを語っても、ユーモアが混じる方。繊細な柔らかい空気をまとう方。画面の端から顔を覗かせる若い若い女の子。
自分の痛み、症状。の中の気づき。それをきちんと受け取るやり取り。
多分、香咲さんの話の聞き方、受け取り方なのかしら。
まぁ、ぼちぼちでもやり続けていくしかないでしょう。
4. 神の子の皆様、今日もご一緒してくださってありがとうございます。
跳び箱の踏み台、思わず体育館の倉庫から運び出したことを思い出しました。
これ無いと飛べないのよねーっていいながら・・・・・
祈りの中にいる。今年になって、てんこ盛りでホーリー宅急便から届く日常のあれこれ。
ヤマトさんとかみたいに、時間指定とか、置き配指定できなくて、困る(笑う)
1月行って、2月が逃げて、3月が去る。これを待って〜ってひたすら追いかけ回すんだけれど、ザンネンナコトニ(ホーリー目線だと、ありがたいのです)捕まらない。
私はよく間違えます。祈るを英語で書くと、prayなのですが、おっちょこちょいの私は、playと書いてしまいます。間違ってノートに記したときに、あ、こうべをたれる。
そうゆうことなの?
確かにみた感じも高さとか揃っていい感じ(フカイイミハナイ)と
私の中のご自分ワールドに火花が飛び散って、あれこれのストーリーの中で自我と遊んでいる私が、この今年に入ってからのあれこれで、翻弄されていたと思っていた時間。
祈りへの道へ誘われていたのだ、と。ホーリーストーリーは自動操縦だったのだと。
playからprayへ。『スペルチェックはホーリースピリットとご一緒に!』
あ、私の中にある、出版できないご自分ストーリーという分厚い本、題名はこれにします。
(改題して新発売!なんちゃって、笑)今日の私の人生もお笑い劇場。笑う門には福来る。今日も受け取り直しの1日を!
羊の母A.S.
5. ニューヨーカーの日常のお話から、ほっこりしつつ、今日のクラスもありがとうございました。知覚への優しい眼差し、心に灯るものを感じています。(こちらは花音が、カラスと会話していました。笑 カーカーと同じ音程でなくと、なき返してくれることも。!)
【CRSのワークブックブログ】を通しても、経験したこと、感じたこと、
レッスンからの体験を記してくださるお一人お一人に、
また、コメントはせずとも目をとめ、感じてくださる方にも、ありがとうございます。
どのような思いであっても、それを書き記したり、心を向けていらっしゃることで
「ここにある本当のことを、わたしも見よう」と思える・・・
そうして、思いが神の思いへと変容し、体験が静かに奇跡へと飛び立っているのを、わたしも感じています。
台にもなる、箱にもなる、羽にもなる、愛そのものであることを、オンラインクラスを通してうんと受け取らせていただき、感謝です。
megumi miyamoto
6. 今期もありがとう御座いました! 昨秋の大阪セミナーの直後から、怒濤のような出来事が続いてています。まず、大阪セミナーの翌週末に転倒して、大腿骨を骨折しました。救急車の中で痛みに耐えながら、ホーリースピリットに「どうなるんだろ? もう自由に動けなくなるのかな?」と不安と心配を投げかけたら「大丈夫! 人生に何の支障もない」と答えを頂き、ホーリースピリットの言葉だけを信じて、闘病していたら、本当に、あれよ、あれよと回復でき、杖の助けをかりながら、ほぼ普通に歩行できるようになり、日々の生活に支障なく生きていけてます! 時を同じくして、ずっと一緒に過ごしていた母親が、年末から調子を崩し、今年1月から、入院していたのですが、今月に入り旅立ちました。肉体は弱っていっていたのですが、母のホーリースピリットは常に元気で、ニコニコとしていて「大丈夫!大丈夫!」と励まし続けてくれてました。お通夜や葬儀の間もずっと、会場も母の愛で溢れていて、参列してくれた皆さんも母に対する愛で溢れていて、葬儀なのに「あー幸せだな」と感じてしまいました。それは今も続いていて、肉体は亡くなったけれど常に一緒に生きている日々で沢山の愛を受け取れる日々です
7. 第7期もありがとうございました💚✨
第5期から参加させていただき まだまだわからないことだらけですが…
それでも毎日のワークブックlessonと共に 聖霊との繋がりを感じることができるようになっています✨
みなさまの どのシェアもいつも心に響き 支えられています✨
すべてのフレンズに心から感謝いたします💖
これからもよろしくお願いいたします✨🙏✨
8. 7期の最後にふさわしい、本当に素晴らしい講義をありがとうございました。
自分が見ていた過去のあれこれの、自分の見方を訂正すること、そしてそういう見方をすることこそが心の内の聖なる輝きを隠すためにしていたということ、忘れないでいたいです。
また聞き直して心に浸透させていきます。シェアしてくださった方々のお話も心に沁みました。ありがとうございました。
9. 本日もありがとうございました。
5期から参加させて頂いていますが、これまでは受講生という感じだったと気づきました。
今日、初めて最初から最後まで皆さんと一緒の輪の中に居て受け取り、感じている、という思いがこみ上げ胸が一杯になりました。
皆さんのシェアで愛が拡がって、それが私にも伝わり、頑なな心が緩んだのだと思います。
香咲さん、智子さん、フレンズの皆さま、本当にありがとうございました。
心から感謝いたします。8期もどうぞよろしくお願い致します。
10. 香咲さん、事務局のともちゃん、
そしてフレンズの皆さま、7期の配信もありがとうございました。
いつも、赦しを思い出す、大切な時になっています。
今回は、Davidのセミナーでの演奏の話をコメントしてもらって、聖霊とともに、受け取らせてもらいました。
セミナーの中での歌とライアーの演奏は、Davidを真ん中に、同じ目的を持って集まったフレンズたちと、ひとつに溶け合う、どこまでも広がり包まれる体験をさせてもらいました。
私が怖がらないように、ライアーと歌という、この世界のツールを使って、ひとつであるところは、優しく聖霊は私たちを導いてくれるのだと言うことを理解しました。
そして、
ひとつになって癒されたよ❣️って、
フレンズのるりちゃんが教えてくれるのですね。
コメントにびっくりしたけど、どこまでも優しいのだと思いました。
『私(私たち)、そのままでよかったのね❣️』という満ち足りたところから、これからは、大切に創造していくのですね。
100人の会場では、みんなで歩いていくダイナミズムも感じました。
その一体感は、このzoomのお仲間でも、いつも感じています。
ひとりでは、歩けない。
みんなで真に幸せになれる赦しを学べることに感謝です。
11. 今年は、とても寒い冬だったにも関わらず お客様が減って売上も下がり、悩み多き冬でした。でも、いつもの癖でやってしまいそうになる被害妄想と自分へのダメ出しをなるべくやらずに済み、何か違う見方があるはずだと、度々、思えたのは、オンラインでの香咲さんのレクチャーと皆さんのシェアのお陰です。落ち込み癖がある私ですが、その度にちょっと待った。と思い出せたのも週一のオンラインコースのお陰です。
お客様が減った代わりに、接客に余裕が出来て、お客様と話をする機会が格段に増え、なぜか深刻なお悩みを沢山のお客様から聴く日々となりました。深刻がゆえに、私はただその話をホーリースピリットと共に聴く。という事に専念し、けっして私が判断したりアドバイスしたり、することのないよう祈りながら、そして、ホーリースピリットが必要と感じた時は、どうぞ私の身体と声を使ってください。と祈りながら、ひたすらホーリースピリットと共に傾聴することが毎日の日課のようになった、この冬でもありました。
考えてみたら、日々の業務に集中しすぎて、ホーリースピリットって、呼びかける事が、今までは少なかったように思います。この冬の出来事のお陰で、常にホーリースピリット共に過さざるを得ない日々になり、私が何もする必要もないし、考える必要もない。という事、そして常に委ねる以外に道はない。という事を経験をとおして教えてもらいました。何もしていても常に共に。8期の目標が出来ました。7期もありがとうございました。
ひ〜
12. 土曜日はいつも仕事を終えて、時間ギリギリに駆け込んで、職場の休憩室でネットにつながるので、声を出すことができませんが、今回の山下さんと香咲さんとのお話の中で思い出したことがあります。香咲さんがおっしゃった「自我でない自分、自分が広がった感覚」。これがそうなのかなと経験したことがあります。
もう、26年ほど前でしょうか、文化庁の在外研修員としてイギリスで演劇の研修を受けていた時、ドイツに足を延ばして、あるWSに参加したことがあります。
そのワークは、微細な波の動きを使いながら、原初的な動きを探求するムーブメントですが、1週間のワークで、最後の二日は泊まり込みで、誰とのしゃべることも禁じられ、ただひたすら自分と向き合うワークでした。
もともとドイツ語は分からないし、不慣れな英語で参加していた私には、しゃべらなくていいというのがかえって楽でした。
しゃべることはダメだけど、散歩したり、近くの池で水浴びしてもOKというワークでした。
そんな中、散歩していて、ふと木を見上げた時、「ああ、自然が近づいてきた!」と感じたのでした。今思えば、自然が近づいてきたという感覚は、自我でない自分が勝手に広がって、木と自分との境が無くなったのではないかと思います。これが人間関係で起こったら、人間関係でもその居方でいられたら、それが難しいのですが、でも、そこにはジャッジも、判断もないし、それが与えることになるのではないのかな、と感じています。
また、黒川さんの「祈り以外はすべて自我の声」という言葉、祈ることが苦手な私にはぐさりと来ました。素晴らしい指摘をありがとうございます。
それから、レベルの混同のお話。
「心は体に影響を与えない。心がどういう状態でも、体に影響を与えない」
「私たちは体と心はつながっていると思ってきた。そのため、その通りのことを経験する。だけど、体の症状が自分の命に影響を与えることは一切ない。自分の命が体をどうにかするということも一切ない」
実は、私は本業として、ずーっと、ずーっと、ずーっと、体と心をつなげる仕事をしてきたのです。演劇の世界において。そこでは、体と心がつながっていないから、感情を引き出そうとしても体が反応しない、つながれば、体から感情を引き出すことができると教えてきました。体の中の憎しみという感情を出すためには、この感情は、強く、ゆっくりとしたしなやかな動きですよ、とか男性が激怒するときは、まっすぐで、強くて、速い動きになることが多いけど、女性の場合は、それがしなやかで、強くて、速い動きになりますよというように、体の内側で起こるエネルギーの流れから俳優が感情を出せるようにするためのワークを、またそのために体を緩めたり、体を意識するワークを行ってきたので、体はない、とか心は体に影響を与えないということを、テキストで読んだ時にはショックでした。
ずっと、体の動きは、性格、感情、行動、しぐさに影響すると、教えてきたので。
ですが、今日のお話の中で、それこそ、レベルの混同をしなければ、このことは無駄にならないんじゃないか、このことは逆に跳び箱の踏み台になってくれるのではないか、このことで落ち込んだり、自己否定する必要はないのではないかと思い始めました。最近では「演劇はもういい」と思っていて、これまでの40年のキャリアを捨てようか悩んでいたので、少しだけ楽になりました。ありがとうございました。
櫻井久直
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