ACIM 第九期オンラインコース―――1月24日クラス・感想・質問シェア
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1. フレンズありがとうございました。「喫煙する彼と結婚」の例えにハッとしました。確かに「痛み」を感じることが怖くて、妥協・説得・我慢などに逃げていました。聖霊と一緒に丁寧にこころを見ることはなかなか大変だとあらためて感じました。
2. 今日のお話を聴きながら、始終うつらうつらしてました。何かが拒否反応を起こしていると思います。でも、眠っているわけではなく、ちゃんと聴いている部分があると思います。
寛容とは、自分自身のジャッジ、自分自身の執着、自分自身の何かに気づき、「ああ、またやってるな」と流すことかなと「頭では」理解しました。
何かをするたびに自分を裁いていることに気づき、すると余計に解決を遠ざけると気づいてきました。今日、始終うつらうつらしている自分をゆるします(笑)。
3. ありがとうございます。
昨日、8年間共に働いた同僚(出会った頃は私が仕事上知識がなく後に入った彼女にちゃんと仕事を伝えられず泣かれたこともあった)が、他部署に異動と聞かされました。
その人の将来が広がっていくならと、伝えた人に話しましたが、後からぼんやりじわじわといろんな考え、不安、何かを責めたい気持、彼女に謝りたい気持...。
ぼーとしてしまう感じです。
今日の内容は、深いので、すぐわかったとならなくても、今は、分析や自分を責める、周りを批判するに陥らず、「さみしさ」を感じてもよいのかなと。私たちは繋がっているという実感はまだなくても。
こんな時、シェア会、いろんな玄関(の奥のスペース)があるのは、有り難いです。
4. 香咲さん、フレンズのみなさま、ありがとうございました!
自分の境界線に罪悪感を持つ必要はない。それは私にとって救いの言葉でした。
一致していないことをただ受け入れる。
受け入れに伴う痛みの感情、孤独が怖くて、寛容という仮面をかぶったやさしい我慢を受け入れていました
そして、私は祈る時、神やHSに祈りますが、自分の心を訂正する祈りをもっと知りたいなと思いました
5. 「完璧な寛容」についてクラスで取り上げていただいて本当に光栄です。私自身も皆さんと一緒に学んでいるので、ちゃんとした答えがあるわけではありません。しかし、ここまで毎日受け取ってきたメッセージの中で、「完璧な寛容」は常に中心的なアイデアだったことに間違いはありません。「完璧な寛容」を私たちの言語で表現し、思考で考えることが難しいのは、一瞬の中で主体と客体が存在しない概念であることが大きく関係しているように感じます。従って、全く逆に考えると、全ての瞬間のあらゆる出来事が一瞬の中で完全に一体化し調和している状況を表現する言葉と考えるとしっくりくる気がします。今この一瞬に、過去、現在、未来の全てのことが創造されているからこそ、私たちのワンネスに不可能なことは何もないし、同時に私たちエゴに知り得ることは何も存在しません。そう考えて行くと、「完璧な寛容」という言葉を通じて、コースが言っているさまざまなことが、ジグソーパズルのように繋がってくるように感じています。皆さんの参考になれば幸いです。
Shinsuke
6. 今日も、ありがとうございました。
許しについて、具体的なタバコのお話に例えて頂きとても良く理解できたように感じます。
そのようなことを、受け入れられない自分は許しが出来ていないんだ...と苦しんできましたが、それを聞いてそれでいいんだと心が軽くシンプルな感覚になれました。
自分を押し殺し、相手に合わせそこで動けなくなってしまうことこそが、自分とも相手とも分離するということなのですね。
今まで家族や交友関係、全て相手に合わせることで自分の恐れから逃げていたんだと気が付きました。
合わせることが主体になり、誰とどこに居ても全く楽しくなくなってしまいました。
同じ魂・愛の部分を信じ、同じ場所にいるという感覚を持ちながら神と共に安心な場所にいる選択ができるようになりたいと思います。
幻想の為に、我慢や努力をすることをやめます。
会社員になり、大人とは...とか、一般的には...とか、普通じゃない...という言葉に、真から恐れ劣等しているダメな自分だと、隠し抑え込み続けてきたこと...本当に「自己分裂」していたと、今日初めて気が付くことが出来ました。
自分を許すことで、相手にも愛をもって接することが出来そうです。
本当にありがとうございました。
Masami.S
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