ACIM 第七期オンラインコース―――11月16日クラス・感想・質問シェア
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1. 本日もありがとうございました。介護については友人が何名か介護の職についていらして、その方が以前「私は利用者さんとのトイレタイムが一番好きで一緒にトイレに入ってね 二人きりの時間になっていろいろお話できるしねぇ・・・」としみじみと 言ってる時にびっくりしたのと同時に友人のものすごい愛にふれることができた事、そして私だったらトイレのお世話が一番嫌だろうなとこのことに対するエゴを見せつけられとても勉強になったことを思い出します。世の中にはもっともっと自分の今の良では考えられないほどの愛をもいるんだと、いるんだと、もうすごく感動した旨を友人に伝えましたところ、友人は恥ずかしがってそんな感動されることじゃない、本当に楽しくて大好きな時間なんだからと言っていました。その場にいた別施設で働いている介護職員をしている友人も、ニコニコ笑ってうなずいていました。友人たちは「いいことをしているじぶんに酔いしれている」わけではなく、評価をもとめているわけでもなく、ただただ本当に介護の職で利用者さんに携わることが好きなんだと、こんなに澄んだ心をもった愛が深い友人が近くにいることに感動したこと、感謝したことを思い出しました。
2. 今回も素晴らしい気づきや導きをありがとうございます😊
みなさんで、お家に集まったとき、砂時計のビジョンが見えて、下から細い産道を抜けて、上の階に上がり、どこまでも拡がっていく意識そのものでした。
すると、ハートから細かい光たちが放射し、金の龍のようなスピリットが現れ、嬉しそうに自由自在に飛び回っていました。
わたしの頬にほおずりしたり、可愛くて、愛おしい存在でした。
そして「僕が、誘導するから、任せて!」とテレパシーのように、聞こえました。
こんな感覚初めてで、胸が熱くなりました。
フレンズのみなさんとのお家の感覚忘れません✨
こんなに、リラックスできたの、いつぶりだろう?!というくらい、ポカポカです。
愛を感じながら、生きていきます。
両親の介護は、兄に任せているのですが、いろいろありそうです。
次回も、楽しみにしております。
どうぞよろしくお願いします🙇♀️
3. 神の子の皆様Hello !今日もご一緒してくださいましてありがとうございます。
レッスンが今日の住所。本当にそうですね。わたしの中では、レッスンは輪になっていて、一周してまた続く。和の中にいるなぁって思いながら細々と続けています。
最近のわたしはレッスンとともに『わたしどこにいるかな?』と自分に声をかけてみることにしています。そんな時は心の外にいるんですけれどね、笑。目的地に戻るのに、そこからよちよちだったり、のそのそだったり、目を閉じで思いっきりダッシュだったり各種パターンを取り揃えているわたし。はホーリーナビを使ってホーリーのいる今日の住所にたどり着くのです。
先日いただいたキーワード、沈黙。この静けさが平和。
引き続き滞在時間を広げていくチャレンジ。
今日のお話にもあった聖戦ですね。エレガントにいきたいものです。
介護の話。わたしの介護生活は、父は病院、母は認知症のグループホームにお世話になっています。今年母が施設を変わってから、いろいろ変化して、今までみたいに自由に母と面会ができなくなりました。実際に顔を合わせることと、心の距離について考えることが増えました。そこで着地したのが、両親へのHelloでした。
それから、病院に母を連れていく時、この日は必ず会えるのでわたしは単純に嬉しいのだけれど、母は、迷惑かけてごめんね、って。以前フレンズが、迷惑ってなんなんだろうねって声をかけてくれたことがあって、その時には受け取ることができなかった、怖くてみることをしなかった心の中にあったもの。例えば時間を奪われる、手を取らせるなどなど。そこに絡んでくるお金のあれこれ。
最近はそこも含めて、歳を重ねる予習だな、見せていただいているな。とふうわりふうわり捉え始めている今日この頃です。
今日も分かち合いの機会をありがとうございます。感謝を込めて。羊の母A.S.
4. 今朝は、疎外感と孤独、寂しさが大波小波で押し寄せていて、蛇みたいなおぞましいわたしに誰も近寄ってくるはずがない、何のために生きているんだろう?と悲しくなっていて、エゴの声に耳を傾けてしまって、そのたびに、ホーリースピリットを思い出し、またどんよりとエゴの雲の中に入り、それの繰り返し。そしてオンライン講座で香咲さんの言葉を聞きながら、雲が晴れ渡っていくのを感じました。今日は住所321に集おう、離れたらまたここに戻ろうと思いました。ありがとうございました。
5. 今日ご紹介してくださった詩は、前にも聞いたことがあるのに、聞きながら涙が出てきてしまいました。きっと、今の心情に呼応するものがあったからだと思います。今日のお話は一言では言い表せない、そんな回だったと思います。
次回は「介護」ということですが、私も両親を送り、自分もそんなに遠くない未来に迎えるであろうことを思うと、なんとも言えない気持ちになります。
両親の事を話すと、ちょうど2000年だったと思います。
当時舞台を務めていた芝居の楽日の早朝6時ごろ、姉から電話で「母親が倒れた、地元の病院では手の施しようがないほどの脳内出血だから、今救急車で専門病院に運ばれてるけど、もう助からないかもしれない…」
その言葉で、眠ることもできず、布団に正座して、初めて神様に祈りました。「自分の命を挙げるから、母親を助けてくれ」と。
その日の舞台は散々でした。
舞台がはねて、すぐに帰省しましたが、見守るほかはありませんでした。
幸い、どこも麻痺が残らずに順調に回復しましたが、脳出血でしたので、3,4年たつと、認知症の徴候が見られるようになりました。
これまで出来ていたことが途端にできなくなり、私はそれが受け入れられず、「何やってんの!」と怒鳴ってしまったことが何度もありました。
そのうちに、当時はまだ社会で受け入れられていない「認知症」であることがわかり、少しずつ受け入れていけるようになりました。
また、父親も母が倒れた3年後に、脳溢血で倒れ、それから言葉が不自由になり、左に軽い麻痺を残すことになり、介護しなければならなくなりました。
父親の方が見る見る弱っていくのがわかりましたね…
父は私よりずっと体も丈夫で、体力もあり、体格も大きかったので、はじめはその父が弱っていくのを認めたくない自分がいました。でも、介護をするうちに現実を受け入れざるを得ない状況になっていきました。
最後には、おもらしをしてしまった父のおむつを替え、風呂場で股間を洗ってあげるのも抵抗なくやっていました。
しかし、父は二度目の脳溢血を起こし、母親より先に亡くなってしまいました。
遺された身にとっては、そこからがまた学びの始まりとでもいうのでしょうか。
遺品整理をしながら、父親の愛情を知れば知るほど、もっと優しくできたのに、とか「ああもしてやりたかった、こうもしてやりたかった」
という思いが次々に湧いてきてしまいました。そして、守護霊がいなくなったような喪失感と虚脱感を感じました。
一人残された母親は、施設に入っていたのですが、やはり父親がいなくなった寂しさからでしょう、認知症になっても父親がいなくなったのは分かるようで、2年後、本人は寂しかったのだと思います。自分でもういいかなと思ったのでしょうね。夜中、静かに布団の中で息を引き取りました。
知らせを受け、病院の霊安室で、母親と二人でいる時間が1時間ほどありました。
まだ、暖かかったです。
これほどの虚脱感はなかったですね。
両親がいなくなって、そこから立ち直るのには何年もかかりました。
今度は私たちです。
私たちは仕事が忙しく、子供を作ることができなかったので、今妻と二人きり、妻が先に亡くなったらどうなるかな……自分が先に亡くなったら、妻一人残すことになるな……
いろいろ思いが飛び交いますが、いつもの魔法の言葉「なんとかなるさ」がうまくいく時とやはりうまくいかないときがあります。
だんだん介護が近づいてくるにつれ、レッスン287にある「父よ、あなただけが私のゴールです」を受け入れざるを得ないところに追い込まれているようにも感じます。
次回の介護のお話、楽しみにしています。
今日もありがとうございました。
6. 介護のこと・・・今も、母は退職をせず、勤続50年ともなるほど、銀行に勤めています。そこに勤めている銀行職員さんたちが(まるでバカリズムさんの架空OL 日記のように)「あそこの横断歩道危ないよね」「車、信号無視もあるよ」「わたし轢かれそうになった!気をつけようね」と話していた、その横断歩道があったそうです。
その横断歩道を、先日、青信号で渡っていた母に車がぶつかって(右折で人がいないと車の運転手は思って赤信号で進んできたのでした)、救急車に運ばれたと聞きました。
病院に行くとお世話になっていた先生ご夫妻が診察を担当することになり、幸い、膝の骨を折って自然治癒で待つほかないとのことでした。
母から、「弟君が、あれこれ介護のように、隅々まで気づいてやってくれて助かっている」「銀行にも、膝だけ骨折だから座っていれば仕事もできそう」「骨折したことのある銀行員さんから色々聞けてよかった!」と、聞きました。 そして事故から一週間で、弟が送り迎えをしながら、母は仕事にゆく、と伝えてくれました。
わたしは実家の近くに住んでいるわけでないので、「介護」となると、きっとこのように、実家に住む弟に、先に頼ることになるのかもしれません。
そして、介護によって「誰か(誰かの時間と労力)が犠牲になる」(わたしが介護される側になった時には、誰かを犠牲にしてしまうのでは)とみている自分がいるのかも、と思ったきっかけがあることを思い出しました。
それは祖母の介護を献身的にしていた彫刻家の叔父が脳梗塞になり、そのまま左半身不随になり入院し続けていることでした。
叔父は、「一切の不平不満を外に漏らさずに」「淡々と」「他の家族(同居している長男ご夫婦)が頻繁に出かけても何も言わずに」祖母の介護をしていました。
毎月、わたしも祖母宅へ顔を出すたびに叔父が教えていた、祖母への「リハビリの成果」を見せてくれていたのでした。「ほら、前より、足が上がるようになっただろう?」と。
またある時には、
「この花はなんていう花なのか、今度携帯で調べてくれないか? アプリとかで見つけられるって聞いたけど?」
携帯を持ったことのない叔父は、とても物知りなのに、自分の知らないことを、わたしを通して教えてほしいと頼りにしてくれていました。「雑草の、花の名前」なんて日常で気にしたことがなかったので、わたしもその瞬間が なぜか心に残っていました。
弟は、その叔父をみてきたので「叔父さんがおばあちゃんの介護を一人で頑張りすぎたから、脳梗塞にもなったのでは」「それなのに、長男のお兄さんは、その介護をしていたおじさんへ(三男)の感謝の言葉ではなく、こっちがリハビリ施設のお金を出しているのに!言うことを聞け!(施設の転院などの提案に)と感情的になるのは、おかしいのでは」と言っていました。わたしは、「そうだね」「大変だったね」と、聴きながら、Spiritと共に、一呼吸おいていました。
叔父さんのリハビリ施設探しも、また、弟が仲介役となっていました。(叔父さんと長男の叔父さんとが面会時に喧嘩になってしまい、弟に頼みたい、と言われたとのことでした。)
祖母は、叔父さんが脳梗塞になった後、日中誰も一緒にいてくれる人がいなかったので、そのまま施設に入り、「おうちより、あったかくて居心地がいい」と最初は行きたくないと祖母が言っていたそうなのですが、その気持ちがすっかり入れ替わっていたことも印象的でした。 祖母は施設で穏やかに楽しく暮らし、面会をしてきましたが、その後コロナから肺炎にかかってしまい、入院先の病院にて今年の夏に他界しました。お葬式の後は、左半身付随の叔父のリハビリ施設(介護も含めた)探しが、また弟が頼まれて、行なっていると聞いていたのでした。
弟が叔父に見せるために作ったリハビリに関する法律や施設の冊子も見せてくれました。「相手のことを思ってつくられた、冊子」を見て、弟は、叔父が祖母にしていたことと同じように、献身的になっているようにわたしは感じました。祖母の気持ちも汲み取っているかのような、丁寧さ、でした。
わたし自身が、そのようなあれこれの出来事をみつめる中で、「誰かが我慢をして」または「誰かを我慢させて」「誰かが楽をする」「誰かの何かが満たされる」そういうのではないはず、と、立ち止まることも増えました。
長男の叔父さんも、「自分のできることをしていこう」と定年後も、仕事熱心です。 実の父(次男)も、「話しやすい人の方がいいだろう」と自分が話し合いにいかなくては!と、ならないのも、理解できます。そして彼が神社仏閣にてお参りが趣味なのも、きっと、全員のことも祈ってくれているのだと感じます。
そういったところ、含めて、わたしにも、見えていないことがうんとあるはずです。
・・・介護でも、献身的なサポートでも、心の真ん中に何をおいておきたいのか・・・。
今、届いている大切な贈り物に次回のクラスでも気づき、心からの体験を受け取れるようにしてゆきたいです。 Megumi
7. ズドーンとモヤモヤが交錯する1週間を過ごした後にレッスン321のメッセージがとても有り難かったです。
何度も噛みしめるように学びたい。
受け取り(🟰手放せる)
最後の瞑想の時に
右に行く道が見え扉が開いているように感じました。
いつも私はまっすぐの直進しか見えてなかったなぁとも感じました。
人間関係の自分の知覚を訂正したいです。
今日も学びをありがとうございました。
8. 終りの方の香咲さんの瞑想ガイドに従ったまま進んでいくと、住所321にはガヤガヤとたくさんの人がいました。私もこの集まりに加わらせてもらい、気恥ずかしい感じがしました。
でも、臨場感がなく、参加しているというより、何かぶる下がっているような感じでした。祈りのガイドに進み、では私の祈りをしてくださいとなり、もっともらしい事を考えようとしていたのに気づき、HSに委ねると、「私は真実と言える本当の私の人生を歩みたい。このままいけばそれができる、それは奇跡的なことなのだから。私は奇跡を目撃したい。」と祈りました。「そうだ、それが本心からの祈りだ。」と返ってきました。翌日にはすっかりその思いも薄れていましたが、こういうことを繰り返すのかな?と思いました。
9. この肉体を、ホーリースピリットあなたが全面的にお使いください・・・そのように祈った時。個のわたしが一歩下がり続ける時。その時こそ、兄弟と一緒に贈り物を真に受け取り続ける瞬間となる...。そう感じています❤️
わたしの意志は神の意志です。わたしの想念は神の想念です。決断と共に、それを完全に思い出したい。そう在りたいと望む。
毎瞬、聖性が為すこと目撃したい。兄弟と真に出逢いたい。繋がりを思い出したい。今、あなたのみもとに参ります...!
祈りの中で、そのような感覚に包まれました💗
今週末の2日間を通して〝兄弟と共に・・・!〟をずっと感じていたからこそ「たったひとりで歩くことはない。常にホーリースピリットと、常にフレンズと・・・」という香咲さんの言葉が心に響き渡りました💓
それだけを求めます。ホーリースピリットに内なる喜びと共に委ね、開き、兄弟と一緒に真に目撃していく、受け取っていく、受け入れていく・・・!
求め、受け取り、感じ、溶け合います。
来週のテーマ:介護。母は施設に入所しているので、直接の介護という経験はないですが、母からは今この瞬間も、肉体が動こうと、動かまいと、わたしたちの働きである放射(延長)には何の関係もない、ということを受け取り続けています。
それは、祈りの中で毎日感じている、受け取っている贈り物を通しても、施設の職員さんからのお話、エピソードを通しても...。
来週も、みなさんのシェア、実体験を通しての声、神の子たちが証してくれる贈り物を、真に受け取ります・・・!この心で、楽しみにしています💓 黒河 未紀
10. 父と母を看取り、介護と言うほどの事はしていないが四肢麻痺寝たきりの元旦那とすっかり弱ってしまったボーイフレンド達に、関わって来て葛藤して来たのは、罪悪感。
罪悪感ではなく、感謝。と、心に言いきかせるが…
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ACIM 第七期オンラインコース―――11月23日クラス・感想・質問シェア
(ありがとうございました! 追加の質問・感想はコメント欄にお願いします)1. 最後の祈り、自分一人では出来ませんでした。兄弟姉妹・フレンズに感謝します。
2. 乱暴に生きてきたなぁとつくづく思いました。適当だし、ずるいし、強引だし。そうだけれど、「無条件の感謝」という言葉がとても心に響きました。ホーリースピリットがわたしに送ってくれた人に対して、無条件の感謝を受け取りたいです。今日もありがとうございました。
3. 神の子の皆様、今日もご一緒していただきありがとうございます。目から鱗の巻なのです。こ...
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7th Online Course Meditation / Lectur...
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